むぎのゴハン

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私は羽生結弦選手がキライ

今週のお題「表彰状」

 こんばんは。

ファンの方々に、背後から刺されそうなタイトルですが、大切なことなので、最初に述べておきます。

 

語彙力のない一言ですが、羽生選手は本当にスゴイ。

元々、フィギュアスケートをそれなりのレベルまでやっていたからこそ、身にしみてわかります。誰もが唸るほどのクオリティのジャンプを、全て成功させて演技を終えること、オリンピックで金を二度取ること。それらが、どれほどの難しいことなのか。

才能と運だけでは、成し遂げられないものばかりで、彼は、この境地に達するまで、どれほどの壁にぶつかり、努力し、己を鍛え上げたことだろう、と。「未来を確定させる」って言ってましたからね。ものすごいイメージトレーニングを重ねたんだろうなと思います。

 

あいつ嫌いなんだ。すごく鼻につくんだ。調子乗ってるんだ。

 

こんなふうに、どこかの誰かがバカにしたって、そんなの、彼を傷つけるものになりはしない。本人からすれば、ピンって飛ばされた目鼻くそが、目の前通りすぎたみたいなものでしょう。そんなものに傷つけられるような、努力の積み上げ方をしてきてないだろうし、そんなものに心が傾くような生き方もしてきてないはずです。

 

だからこそ、私はネットに隅っこで叫べるのです。もう一度言います。私は、羽生選手が嫌いです。

 

〈 うまくなるためならなんだってします 〉

嫌いなところひとつめ。

結論から言えば、彼がスゴイと認めることは、私の努力不足を認めることになるからです。

もう、だってありえないじゃないですか。ありえないんですよ。

ほとんどの試合で、ジャンプ成功させるし、不安定な滑りをみせたことなんて、怪我の時ぐらいじゃないですか。もう、いっつも「ああ、どうせジャンプ降りるんでしょ?」って思わせるあの安定感。ありえない。ハラハラさせてもくれない。ありえない。

たくさんの視線がささる中、氷上にひとり立つことがどれほど心細いことか。少しでも良い所みせなきゃ、って心臓バクバクの中、ジャンプをいつもどおりに決めることが、どれほど難しいことか。

 

どんな鋼のハートもってんだって話なんですけど……。

彼がその次元には、既にいないこともわかってしまうから、腹が立つのです。きっと、彼にとって試合は、他者との戦いではなく、己との戦いで、他者の目を気にする場ではなく、己を高めるための時間なんでしょうね。

すごくスケートが大好きで、尊敬していることがめちゃくちゃ伝わってきます。ライバルがいなきゃ、スケートが好きでいられない、なんて言ってるけど、それだけじゃないに決まっています。素晴らしいです。それは、10年間も氷上にいたのに、私が抱けなかったものです。だから、見ていたら羨ましく感じるし、腹が立つ。

 

彼は、「これ以上、頑張るコトなんてない」なんて、絶対吐かないだろうな、と思う。誰もが見本にしたくなる努力者。だからこそ、羽生選手を見ていると、自分がいかに努力できていなかったか、鏡で見せられている気分になるし、それは、過去の自分に限った話じゃなくて、今、何やってんだろうな自分、なんでもいいから努力することできてるかな、って気分にさせられる。

己を見つめ直そう、と思う時間ならまだしも、スケート見る度になんでそんな気分にさせられなきゃならないんだよ、バカやろう、ってなる。だから、嫌いなのです。彼が悪いのではなく、私が悪いのです。そうです、私が悪いんですよチクショー。

 

〈 逆境や自分の弱さが見えた時が好き 〉

頭おかしいとしか思えないセリフですね。

嫌いなところ二つ目。完璧すぎて、面白くないからです。

怪我もトラブルも、すべて強い言葉と一緒に乗り越えてしまうから、人間味がない。

 

彼は、元々幼い頃からシード選手として、注目されるほどの選手でしたが、震災を経験した後、たくさんの人が苦しんでいるのに、自分は氷の上に立っていてもいいのだろうか、と思い悩み、一度はやめようか悩みほど追い詰められたそうです。

 

そこが、彼の最後で最大の人間味だったな、と思います。

ひどいこと言いますが、羽生選手でも悩むことあったんだ、っていう。

 

私も、当時は悩みました。永遠とテレビでは震災のことを報道していたから余計に、あれだけ、たくさんの人が苦しんでいるのに、打ち上げなんて行っていいんだろうか、ましてや焼肉なんか行ってもいいんだろうか、と。

全く震災と関係のないところにいた私ですら、そう思ったんですから、実際に被災した羽生選手の悩みは、私なんかとは比にならない相当なものだったと思います。

 

正直、震災があったからって行動を自粛したって、死んだ方々がかえってくるわけでもなければ、傷ついた方々の心が和らぐわけでもありません。だからこそ、彼が悩んだ末、進んだ道は良きものだったと思います。

 

……そう、思うのですが、そこからのスケート人生、なんと山谷が少なく見えることでしょうか

人並み以上に、苦労が山ほどあるはずなんですけどね。本人が、ピンチはチャンスと思って臨んでいるからか、共感するスキがまるでない!

あの、何十針縫った時でさえ、「そりゃ苦しいよな、滑りたいよな」なんて共感を超えて、「執念がすごい、こわい。もうやめとけよ」と思わせたぐらい。

 

なんかもう、物語としても、登場人物としても、漫画に出てきそうな完璧さじゃないですか。どんだけ傷つけても、倍返しされるんだろうな、っていう。どんな困難も、軽々超えているように見える。だから、世の中の人たちの一部が、羽生選手がジャンプするとき「失敗しろ!」なんて、言ってしまうんでしょうね。

 

他人の不幸は蜜の味。不幸を感じさせない羽生選手の失敗を望むのも、無理はないなと思います。それだけ、羽生選手がすごいということです。

……もう一度言っておきますが、持ってない者が何言ったって、ただの嫉妬でしかなく、つまり、これは私の目鼻くそ文です!

あと、試合の中のたった一回を成功させるために、練習の中で何百回と転び、努力してきたスケーターに「失敗しろ」なんていう輩は、タンスの角に小指を毎日ぶつけてしまえ。

 

 〈 まとめ 〉

まとめると、私が羽生選手を嫌いな理由は、私が〈持てなかったもの〉を〈持っているから〉。そこに至る努力が、生半可なものでないことも容易にうかがえるから。努力の塊である羽生選手を見ていると、「おまえは努力してきたのか?」と常に問いかけられている気分になるから応援したいのに、素直に応援させてくれないから。笑

 

以上です。

ともあれ、金メダル二つ目、おめでとうございます。これからも、私に「はぁあ、また完璧な演技しやがった~。すごすぎ~。努力の塊か~ 嫌い~~」と言われ続ける存在でいてください。羽生選手が引退するときには、〈すごいけど嫌いだったやつ1位〉の表彰状を、私の心の中で進呈したいと思います。

 

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